マタイ福音書3章 洗礼を受けるイエス

聖書から
01 /14 2024
マタイ3章

洗礼者(バプテスマの)ヨハネ(1-12)

 前回2章では、幼子イエスはナザレに住んだというところで終わっていましたが、3章ではそれから約30年経過しています。
最初の登場人物は洗礼者ヨハネ、あるいはバプテスマのヨハネと呼ばれる人で、キリストの到来に備えてその道を用意する人です。(使徒ヨハネとは別人です)

 彼のメッセージは、「悔い改めよ、天の御国が近づいた」 と記されていますが、これはイエスも(4:17)、弟子たちも(10:7)宣べ伝えた福音(よき知らせ)のメッセージです。「悔い改め」というのは、後悔して善い行いをするということではなくて、「向きを変える」あるいは「立ち返る」という意味です。神に従わず罪を犯していた生き方を改め、神のほうに向きを変える、神に立ち返るということです。「天の国」とは、神の王国、神のご支配という意味で、死んでから行くいわゆる「天国」ではありません。「近づいた」とは、もうすぐそこまで来ているという意味です。

 福音と言うと、私たちは「イエスが私の罪のために十字架にかかり、復活された。それを信じれば死んだ後天国に行ける」というように個人的なことに矮小化しがちです。しかしヨハネ、イエス、そして弟子たちが伝えたのは、「神様がもうすぐ王として世界を支配されるときが近づいている。だから神様に立ち返りなさい。」というメッセージであり、これが福音の本質です。イエスの十字架と復活は、これを実現するためのプロセスなのです。

 ヨハネは悔い改めのしるしとして、洗礼を授けました。しかし悔い改めることなく洗礼を受けようとする人々をヨハネは激しい言葉で叱責しました。悔い改めなしに(すなわち神に立ち返ることなしに)「ただ信じれば救われる(裁きを逃れられる)」というのは、日本人で言うなら「お守りを持っていれば大丈夫」というようなことでしょう。心からの悔い改めが必要です。

「悔い改めにふさわしい実」(8)とはどういうことでしょうか?

 しかし、自分の悔い改めは果たして十分なのかどうか、私たちは自分を拠り所とするとき不安になります。そこでヨハネは「後から来る方」は自分など足元にも及ばない方だとしてキリストを指し示します。キリストは水ではなく、「聖霊と火で洗礼を授ける」と言います。このことをイエスご自身も復活後におっしゃっています。(使徒1:5、そこでは「聖霊による洗礼」で「火」はありません。そのことは後に述べます)

「水によるバプテスマ」と「聖霊と火とのバプテスマ」とは、どう違うのでしょうか?

 「聖霊による洗礼」とは、これ以降聖書には一切登場しない言葉ですが、信じた者が聖霊(神の霊)を受けて新しく生まれかわるということを意味しています。 大切なことは、人の悔い改めと水による儀式よりも、聖霊により内側からきよめる真実の洗礼をキリストは授けるお方だと言うことです(ちなみにイエス様もパウロも水による、イエスの名によるバプテスマ(洗礼)も授けるように(受けるように)命じています。これは個人的なものではなく、教会=神の民のメンバーシップと関係しています。)

バプテスマを受けるイエス(13-17)

 ヨハネが驚いたように罪のないお方がなぜ洗礼を受けたのでしょう? 

 私たちはイエス様が人としての歩みをなされ、私たちの罪のために十字架で死なれたことを知っています。神の国が実現するためには、まず十字架と復活により、私たちの罪が贖われることが必要でした。それが神のご計画でした。しかしヨハネはキリストが来たらすぐに王として支配すると考えていたようです。ですから、裁きもすぐに行われると考えて、「火の洗礼」ということばを使ったのかもしれません。後に自分の期待と違うイエス様に疑いを抱きました。(マタイ11章)しかしイエス様は、「さばくためではなく、救うために私は来た」とおっしゃいます。(ヨハネ福音書3章17節)

 天からの声はイエス様について何を現わしているでしょうか?

 洗礼を受けるとすぐに聖霊がくだり、「これはわたしの愛する子」という天から声が聞こえました。イエス様は全き人として、また神に愛された神の子として証しされました。私たちも、神に立ち返り洗礼を受けたとき、聖霊がくだり、「あなたはわたしの愛する子」と呼ばれるようになったのです。ハレルヤ!
 
補足) 「聖霊と火とのバプテスマ」とは?
  イエス様は「聖霊よるバプテスマ」(使徒1:5、11:16)と言っており、「火」はありません
  これ以降、この言葉は聖書には現れません。解釈はいくつかあります
   ・水に対して「火のような聖霊」というたとえ(ペンテコステ炎のような舌?)
   ・聖霊は救われる人に、火は裁かれる人にくだる(10,12節の火も裁き)
   (ヨハネはキリストが来たら、救いと裁きがすぐに行われると考えていたかもしれません) 

 
 
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Luke Tokita

プロテスタント福音派信徒、在野聖書研究者です。

eBile Japanというサイトを運営しています。メルマガも発行してます。

教団、教派、特定の神学にこだわらず、信徒として学んだことを書き留めています。

いわゆる「キリスト教こたつ記事」です。

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