マタイ福音書1章 イエス・キリストの誕生

聖書から
01 /14 2024
イエス・キリストの系図
 系図の中で知っている名前がどれくらいありますか。ダビデまでは割と知ってるかもしれませんが、それ以降は難しいですね。
 大事なのは、イエス様が単にアブラハム、ダビデの子孫だいうだけでなく、神様の約束を受け継ぐお方、メシヤ、キリストだということです。マタイはそのことを示したかったのです。
 系図の中に女性が4人登場しますが、遊女や、異邦人や不倫相手だったり、恥ずべき歴史が記されていて、そのような罪の系図の中にイエス様は生まれてくださいました。ただ私は、この女性たちは男性優位社会の犠牲者なのではと思います。事実イエス様は、このような弱い女性たちの味方でした。

 系図の途中でバビロン捕囚というのが入っているのが奇異な感じです。これはイスラエルの歴史で国を失ったこと、そしてイエス様の時代まで続き、ローマに支配されていることがいかに大きな事柄であるかを物語っています。
 エレミヤ書の学びで見てきたように、神から離れたイスラエルの罪の影響が未だに尾を引いているようです。

イエス・キリストの誕生
 マリヤの妊娠を知ったヨセフはどんな気持ちだったでしょう。昔の人は信じやすいなどということはありません。離縁しようと決めても、眠れずに思い悩む彼の苦悩が読み取れます。
 あなたは、イエス様が聖霊によって生まれたことをどうようにして信じましたか。最初は誰でも信じられないでしょう。クリスチャンであっても、どうして信じてるのか説明できない、と正直に話してくれた人もいました。
 神話だとか、たとえだとかいうことで納得する必要はないでしょう。わからないことがあってもいいのです。「処女降誕」を信じるかどうかが問われているのではなく、イエス様を救い主として信じることが大切です。

イエスはどんな方?
 み使いは、イエス様は民の罪を救うお方だといいます。イエスという名前は、ヘブライ語で「神は救う」という意味があります。そしてそれは旧約聖書のイザヤの預言の成就だといいます。しかしその預言は「インマヌエル、神は共におられる」という預言で、ちょっと違うような気がしますが同じことなのです。

 それは罪とは何か、救いとは何かということです。
 聖書で言う罪とは、神さまから離れていることなのです。イエス様が罪から救うとは、神から離れた私たちを神のもとに帰らせてくださるということです。エレミヤ書で神様が何度も「わたしのところに帰って来い」と呼びかけていることを読みました。

 子供にイエスの救いを教えるのに、「イエス様を信じれば、罪で真っ黒な心が真っ白になる」というのを聞いて違和感を覚えたと言う人がいました。確かに子供には単純で分かりやすいかもしれません。しかしクリスチャンになっても決して心が真っ白なんかじゃないことはすぐにわかります。そんな私たちを赦し、愛して、共に歩んでくださる神を知ることが救いなのです。

 アフガニスタンの人々に仕え、2019年12月に銃撃され死亡した中村哲医師は著書の中で、「神が共におられるということこそ、聖書の神髄」と書いています。
 
 「神が共におられる」という福音を、ご自身の生涯を通して明らかにしてくださったイエス様の誕生を、今年も心からお祝いしましょう。
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Luke Tokita

プロテスタント福音派信徒、在野聖書研究者です。

eBile Japanというサイトを運営しています。メルマガも発行してます。

教団、教派、特定の神学にこだわらず、信徒として学んだことを書き留めています。

いわゆる「キリスト教こたつ記事」です。

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