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「死んだ後、天国か地獄」は聖書の教えか?

「死んだ後、神を信じる者の魂は天国で永遠に生き、信じない者の魂は地獄で永遠に苦しむ」という意味であれば、答えはNOです。

これは聖書の教えではありません。
多くのクリスチャンも誤解しているのではないでしょうか。

日本人であれば、魂が雲の上のようなところで生きるのが天国だというイメージは仏教の影響ではないでしょうか。

西洋人であれば、ギリシャの霊肉二元論の影響だと言われています。

それでは聖書にはどう書いてあるのでしょうか?

山崎ランサム和彦氏のブログを参考にさせていただきました。

1 天国という言葉の誤解

 聖書には、
「天の国」(口語訳聖書では「天国」)、
「神の国」、「御国」、
「パラダイス」(新共同訳では「楽園」)、
「ゲヘナ」(口語訳、新共同訳では「地獄」)、
「ハデス」(新共同訳では「黄泉」)と
いう言葉が出てきます。

 ここで「天の国」はマタイ福音書のみの表現で、天はユダヤ人にとって神の婉曲的表現で、「神の国」と同じです。「御国」も「神の国」と同じです。

 したがって、
「神の国」と「パラダイス」が信仰者の行くところ、
「ゲヘナ」と「ハデス」が不信仰者が行くところです。

2 神の国とは何か

 イエスの宣教の始めに、「神の国は近づいた」と言われました。(マルコ1:15)
 また祈りの中で、「御国がきますように」と祈れと言われました。(マタイ6:10)

 ここから「神の国」は私たちが行くところではなく、この世界に「来る」ものだということがわかります。そして「みこころが天で行われるように地でも行われる」こと、すなわち神の支配がこの地に実現することです。
 またパリサイ人の質問に対しても、「神の国はあなたがたのただ中にある」と言われました。(ルカ17:21)これは心の中にあるという意味ではありません。現実の世界で始まっているということです。

 口語訳聖書でマタイ福音書の「天の国」を「天国」と訳したために、誤解が生じているのではないでしょうか。
 しかし「天の国」=「神の国」は今見たように、死んでから行くところではありません。


 これに対して「パラダイス」ということばは、一般にイメージする「天国」に近いかもしれません。
 イエスと共に十字架につけられた犯罪人のひとりは、「今日、わたしともにパラダイスにいる」と言われました。(ルカ23:43)
 またパウロは、生きたまま「パラダイス」に引き上げられた特殊な経験をしました。(2コリント12:4)

 「パラダイス」は死者の魂の一時的な場所と考えられますが、それ以上聖書は詳しく述べていません。
 しかし「神の国」でないことは明らかです。

3 最終的な希望

 この世界の最終的な希望は、キリストが再びこの世界に来られて、「新しい天と地」が創造されることです。「神の国」の完成です。(黙示21:1)
 創世記において神は天と地を創造しましたが、人間の罪により、この世界は堕落してしまいました。黙示録において、神は再び天と地を創造し、そこで復活の体を持った私たちが世界を管理するのです。

 私たちは死んで魂だけが残るのではなく、新しい体が与えられると聖書は教えています。(1コリント15章)
 魂だけが雲の上のようなところで永遠に生きるのではなく、「体を持って」、神が王として完全に支配する神の国である「新しい地」で永遠に生きるのです。

 これが聖書の示す最終的な希望です。パラダイスは一時的なところに過ぎません。

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