私は神様の宝、神様の真珠
聖書から私は神様の宝、神様の真珠
「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」(マタイ13:44-46 新共同訳)
今まで、宝、真珠とは天の御国、神の国のことで、私たちにとって、すべてを売り払うほど価値がある、と解釈してきました。手元にある複数の注解書も同じ解釈でした。
ところがある本を読んでいて違う解釈もあると知りました。
宝、真珠とは私のことであり、神様がすべてを売り払って買い取ってくださった、
そう、イエス様を十字架につけるという大きな代償を払ってくださったのです。
「わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し/あなたの身代わりとして人を与え/国々をあなたの魂の代わりとする。」(イザヤ43:4)
聖書ってすごいですね。いつも新しい発見があります。
(天の国は次のようにたとえられる、という新共同訳の訳文がもっとも原文に近く、前後の文脈からもこの解釈は可能だと思います。この解釈を取っている牧師は複数名確認できています。)
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