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こころ教と原理主義

この仏教学者の話は、妙に納得がいく。 キリスト教についても同じことが言える。 「気休めの福音」に満足できない人は「原理主義」に行く。極端になる。 あるいは見えるものに頼る。異言、いやしなど。 ここから引用。 仏教学者 佐々木閑 日経ビジネス オンライン 「宗教崩壊」 2015/6/6 人が集まればよいのではない、仏教で生きていきたいと思う人がどれだけ増えるか。 「その人の人生を引き受ける」覚悟を示すこと。 僧侶が本気で教義を信じていない。 科学とうまくすり合わせできないことを、「心の問題」に置き換えて解釈しようとするのは仏教だけに限りません。キリスト教、イスラム教も今、同じようなことを言いだしています。すべてのものを、心の中に落とし込んでいく手法です。  私は、現在起こりつつある、こういった宗教の一元化を、「こころ教」と呼んでいます。私の造語ですけどね。これからの宗教は、「こころ教」へと向かいます。その証拠に今、どの宗教もキャッチフレーズが同じになっています。  「こころ教」のキャッチフレーズにはキーワードがあります。それは「心」と「命」です。動詞では「生きる」です。この3つのキーワードで、どの宗教もキャッチフレーズを語るようになっています。例えばある仏教教団のキャッチフレーズは「今、いのちがあなたを生きている」です。一体、何を言っているのか分かる人がどれだけいますか? 「こころ教」がこれからの宗教の姿です。「こころ教」は、万人に受け入れられます。なぜかというと特殊性がないから。万人には受け入れられますが、その人の人生を丸ごと救う力はありません。つまり、気休め以上のものにはならない。 本当に絶望している人は「こころ教」でなく「原理主義」のほうへいきますよ。 私はここで、「原理主義」という言葉を悪い意味で使っているわけではないのです。ここでの原理主義とは、本来の宗教が果たす役割を担った少数の人たちのことです。つまり本来の教団の教えをそのまま受け継いでいく人たちです。
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