あとの者が先になり、先の者があとになる
コラムあとの者が先になり、先の者があとになるものです。(マタイ20:16)
先日、夢の中でこのイエスのことばが浮かびました。
神様が私の心の奥底に語りかけて下さったのだと思います。
この言葉はペテロが
「私たちは(あの青年とは違い)何もかも捨てて従ってきました。何がいただけるでしょう」
という問いに対して語られ、続くぶどう園のたとえの最後に、
「一時間しか働かなった者に私たちと同じ賃金を払うのか」
と不満を述べる人たちに語られました。
人より前に、彼より上に、と比較し、競争することを強いられてきた人もいるでしょう。
私たちは人と比較することで自分の価値を確かめようとします。
人の目には「後のもの」と見えるものが、神の国では「先になる」のです。
私たちの狭い視野で比較するとの愚かしさを教えられます。
私自身、いつまでたってもそんな心のくせから抜け出せないのです。
人と比較するとき、神と関係も人との関係も不安定なものになっていきます。
神の国は「報酬ではなく恵み」「行いによらず、恵みによる」のです。
神様が私たちに与えておられる恵みは、私たちの働きや業績などとは比べられないほど大きなものです。
ルカ15章の放蕩息子のたとえでは、兄息子が弟に嫉妬して不満を述べていますが、父は
「私のものは全部おまえのものだ」
と言います。兄は自分に与えられているものに気づいていなかったのです。
- 関連記事
-
- 福音の再発見
- 異言の賜物ばかりなぜ求めるのか?
- あとの者が先になり、先の者があとになる
- 「わたしはここにいるよ」 ~コロナ禍で迎えるクリスマスに思う その3~
- 「真のリーダーとは」 ~コロナ禍で迎えるクリスマスに思う その2~
コメント