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お祝いの時に断食? イエスは信徒の義務など教えない

聖書から
01 /11 2021
お祝いの時に断食? イエスは信徒の義務など教えない

彼らはイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは、よく断食をしており、祈りもしています。また、パリサイ人の弟子たちも同じなのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています。」 
イエスは彼らに言われた。「花婿がいっしょにいるのに、花婿につき添う友だちに断食させることが、あなたがたにできますか。 
しかし、やがてその時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します。」(ルカ5:33-35)

当時は週に何度も断食し、一日に何度も祈るとか、そのような決りを守ることを宗教的に大切にしていました。

ところがイエス様とその弟子たちは、宴会ばかり。

イエス様は「今はお祝いのときなのだ。どうして断食させられるか」と言われました。

イエス様はご自分に従ってくる人々が、神のもとに帰ってきたことをまず共に喜びました。
断食や祈りは、必要なときがくれば彼らは自らするようになる、と言われました。

イエスは弟子たちに、断食や祈り、献金、奉仕、教会出席せよ、などと教えませんでした。

なによりもまず、共に喜んでくださったのです!

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イエス様をフォローしよう

聖書から
01 /11 2021
イエスはシモンにこう言われた。
「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」 
彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。(ルカ5:10‐11)

「何もかも捨てて、イエスに従った」
英語聖書では、left everything and followed him.

「奴隷が主人に従う」服従、obeyではなく、
「ついていく、同行する」followなのです。

何よりも優先してイエス様をフォローしましょう。

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私たちの「居場所」

聖書から
12 /28 2020
今日のパン、明日の糧

わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
(ヨハネ14:2-3)

イエスは十字架にかかる前夜、弟子たちに「あなたがたの居場所を備えに行く」と言われました。

そこはどこなのでしょうか。天国でしょうか。
私たちは、そこがどんなところか想像したくなります。

しかし、大事なことは「どこにいるか」ではなく、「誰といるか」です。
そこは「わたしのいる所」だと言われました。

私たちの「居場所」は、イエスと共にいるところです。

死の悲しみに寄り添う

聖書から
12 /28 2020
「今日のパン、明日の糧」

マルタはイエスに言った。「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」(ヨハネ11:24)

クリスチャンでも死は悲しい。それは別れの悲しみ。
天でまた会えると頭ではわかっていても悲しい。

イエスはラザロをよみがえらせる必要はなかった。
マルタも終わりの日のよみがえりを信じていた。

しかしそれでも皆泣いていた。イエスも泣いた。
その悲しみを癒すため、ラザロをよみがえらせた。

頭ではわかっていても悲しむのが人間、
イエスはそんな私たちに寄り添ってくださる。

喜びは選び取るもの

聖書から
12 /28 2020
喜びは選び取るもの

主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。(ピリピ4:4)

「喜べ」と命じられています。自然に喜べる訳ではありません。
神への信仰と確信が、喜びの源です。

「喜びは選び取るもの、喜びは楽観主義ではなく、神はすでにこの世に打ち勝たれたという霊的知識から生まれる。
喜びは暗闇より神の光のほうがはるかに現実性があること、神の愛は死よりも強いことに気づくことからくる。」
(ヘンリ・ナウエン「いま、ここに生きる」)

Luke Tokita

eBible Japan管理者のLukeです。

eBible Japan(http://ebible.jp)